2050年のカーボンニュートラル目標達成に向け、CO2排出量を取引する「カーボン・クレジット市場」は重要なファクターとされています。株式会社日立製作所(以下、日立)では2022年度、経済産業省(以下、経産省)の委託を受けて東京証券取引所(以下、東証)が進める実証事業において、東証が利用するシステムをJPX総研と共同でシステム開発を担当。その中心となった大島 正嵩が、プロジェクトの全貌を語ります。
社会的影響力の強いカーボン・クレジット市場のシステム開発に挑む
CO2など温室効果ガスの排出削減量や吸収量をクレジットとして売買する「カーボン・クレジット」。これまでも企業間などで取引は行われていましたが、より活発かつ透明性のある取引を実現し、投資を加速させるという経済面での効果をめざして実験的につくられたのが東証の「カーボン・クレジット市場」です。
2022年9月から始まった実証事業に向け、日立は共同開発者として注文の受付・マッチングをメインに、取引価格の公示や取引後の決済なども含め、実際の取引に関わるシステム開発全般を担当。大島は、このプロジェクトのアプリケーション開発リーダーを務めました。
大島 「私が所属するアプリケーションサービス事業部第三アプリケーション本部は、保険・証券・取引市場系を主なお客さまとしています。これまでも金融取引に関するさまざまなシステム開発を担った実績を評価され、今回のプロジェクトに参画することになりました。
私自身の役割は、アプリケーション開発の管理と推進です。まず経産省や東証が協議して定めた取引制度や市場を理解した上で、システム化のために必要な要件をお客さまと一緒に検討していきました。要件をもとに、必要なアプリケーションを“設計”し、開発を行い、開発チーム内部の進捗・懸案管理や成果物の評価などの管理業務も担当しています」
これまでも、東証をはじめとする金融系のお客さまの案件を担ってきた大島。
大島 「規模が大きく、社会的影響度の高い基幹系システムの開発に携わるのは大きなやりがいを感じます。さらに第三アプリケーション本部では、モダナイゼーションやDXにもアプローチしているので、最新技術を使って新しいビジネスを生み出すプロジェクトにも関わることができる。両方の経験を積めるのは、エンジニアにとって大きな魅力だと思います」
新たなチャレンジとなった、マイクロサービスアーキテクチャーの採用
今回のプロジェクトが本格始動したのは、2022年5月下旬です。事前にシステム検討やPOCを進めていたとはいえ、実証事業が始まる9月まで、タイムリミットは正味3.5カ月ほど。開発期間が短い中で高品質なシステムをつくりあげるために、要件定義と開発を並行しながら進めていく必要がありました。
大島 「私がとくに意識していたのは“アジリティ”ですね。従来の日立のやり方ですと、しっかりとしたものをつくるために、時間をかけて社内で検討し、お客さまに相談して……というプロセスなのですが、それを踏襲すると期限までに間に合わない。そこで、なるべく意思決定を早くするために、検討段階で一度お客さまとタイムリーに課題の内容を共有しました。もし変更や要望が出れば、アジリティ高く対応し、お客さまに寄り添う形で開発を進めていきました。
これまで日立が築き上げてきた『高品質なシステムを開発するためのプロセス』をベースに、スピード感やアジリティの視点を融合させ、新たなプロセスをつくることができたと思います」
新たな試みに挑戦したのは、プロセス面だけではありません。技術面においてもマイクロサービスアーキテクチャーなど、新技術を積極的に採用していきました。
大島 「実証実験後の本格稼働まで見越すと、追加の開発や更改がしやすい方が良いと考え、開発後の柔軟性や拡張性が高いマイクロサービスアーキテクチャーを取り入れました。
マイクロサービスアーキテクチャーは比較的新しい設計思想で、簡単に言うとアプリケーションをサービス単位に分割して開発するというもの。今回の取引所のシステムで言えば、メインである『注文を受付ける機能』をはじめ『約定を成立させる機能』『決済情報をつくる機能』などに分割したサービスごとに開発していきました。日立としても、金融系のシステムにこの技術を用いた前例がほぼなかったため、ベストプラクティスがなく、難しさも感じましたね」
大島がもっとも苦労したのは、サービスをどの粒度で分割するべきか、という判断でした。
大島 「サービスの分割に失敗すると疎結合化できない事態が起こり得ますし、サービスを分割しすぎると、連携に必要な制御技術の難易度が上がり、作業量が増え、開発期間に収まらなくなります。最適な粒度で分割するための判断には時間を要しましたね」
また、分割したサービス間のデータ連携については、一つのテーブルから参照先のサービスが必要な要素のみを公開する「VIEW」を用いた連携を採用。開発期間が短いこともあり、シンプルなつくりをめざした故の選択だったと振り返ります。
大島 「REST通信、MQ連携、リードレプリカなどさまざまな選択肢があり、各手法のメリット・デメリットを検討した上でVIEWを使うことにしました。結果としてスピード感のある開発ができ、功を奏したと感じています」
これまでの技術力・ノウハウ×新たな試み──日立の総力を結集したプロジェクト
新たなプロセス、技術を積極的に取り入れたことで、短期間で高品質なシステムを完成させた今回のプロジェクト。しかし、その下支えとなったのは、これまで日立が蓄積してきた技術力やノウハウだったと大島は考えています。
大島 「日立の中には、マイクロサービスなどのトレンド技術をビジネスにつなげる研究を進める部門や、必要な技術要素・適応手法などを研究している部署があるので、こうした専門部隊と協力して進められる心強さがありました。
また、開発においては、日立独自のフレームワークやツールをフル活用しました。例えば、フロントエンドにはローコードツールを、バックエンドには日立独自のアプリケーション開発フレームワークを採用。さまざまある社内のソリューションをうまく取り入れたことで、フロントエンド、バックエンドとも開発量を抑えられました。
さらに、開発プロセスにおいては、これまで日立が確立してきた「高品質なアプリケーション開発」の工程の中から、どこを変更すれば品質を保ったまま生産性を高められるか知恵を絞りました。従来の開発ノウハウを生かしつつ、改善点を見つけ、このプロジェクトに合うプロセスへとブラッシュアップさせました。
これら3つのポイントが、限られた期間で新たな取引システムを開発できた要因だと思っています」
本プロジェクトに携わる前には、Lumadaソリューション推進本部でDXサービスの開発を学んだり、海外でDXサービスを展開したりするためタイに赴任した経験を持つ大島。今回のプロジェクトでは、そうしたキャリアも大いに役立ったと振り返ります。
大島 「今回はクラウドネイティブでの開発ですが、システム構築の技術やマイクロサービスに必要なアプリケーションのコンテナ技術、クラウド側の各種サービスの知識などは、DXサービスの開発で身につけたものでした。
また、プロジェクトリーダーとしては、言われたものをしっかりつくるだけでなく、このシステムを開発することでお客さまにどのようなビジネス価値を生み出せるのか、という目線で物事を考える必要がありました。つくって終わりではなく、どういう改善をすればより価値を生み出せるのか、しっかりと軸を持って考えて、お客さまと意思決定の議論を進めていく──こうした提案力や折衝力については、タイでの経験が生かせたと思っています」
大島個人の経験やスキル、そして日立がこれまで築き上げてきた技術力とノウハウ──総力を挙げて取り組んだプロジェクトは、チームメンバーの大きな成長にもつながっています。
大島 「お客さまの要望に対して、限られたリソース、期間の中で、最大限の価値を発揮するためにはどうすれば良いか。チームの一人ひとりがしっかり考え、意見を出していく意識的な行動と、実際にそれを検討していく課題解決力が、かなり養われたプロジェクトでした。要件変更に対するアジリティは、従来のプロジェクトより格段に上がったと思います」
お客さまの価値が最大になる、最適なアーキテクチャーを検討し続ける
2022年9月に実証実験がスタートしたカーボン・クレジット市場。来年度からは本格運用され、取引システムにも新たな売買の仕組みや機能が随時追加されていく見込みだと言う大島。
大島 「今回の開発においては、お客さまとタイムリーに状況を共有しながら一緒に課題解決していくという姿勢を評価していただきました。また、お客さまにとっても、マイクロサービスを取引所システムに適用するのは初めての試みだったようですが、サービスの分割やデータの連携の考え方が適切だったという声もいただきましたね。
さらに、要件定義と並行しながら開発を進めていくアジャイルのようなプロセスでも、稼働後もインシデントや本番障害もないところまでしっかりと品質を高めた状態でリリースできました。
ただし、今後システムを拡張していく上ではさらに複雑な技術が必要になってくると思います。ベストプラクティスがまだない中で、『お客さまの価値が最大になる、最適な構成・アーキテクチャーは何か』をしっかりと検討し、アジリティ高く進めていきたいですね」
そんな大島は、日立でIT人財として働く魅力を次のように考えています。
大島 「今回のプロジェクトでも力を貸してもらったように、日立にはさまざまな専門部隊があり、高い技術力を持った人が多くいます。そうした人たちと協力しながらひとつの案件を進められるのは、大きな魅力ですし、楽しいですね。
前例のない案件を進めていく上では、従来のノウハウはもちろん大事ですが、これまで日立がやったことがない手法や新たな発想もどんどん取り込んでいったほうが、開発プロセスも実際のシステムもより良いものになると考えています。その意味で、他社で経験を積んだ経験者採用の方が加わってくれるのは大歓迎。これまで培ってきたノウハウを共有いただき、より良いアプリケーション開発をめざしていければと思っています。
臆せずチャレンジできる人、新しい技術の知識はもちろん、その技術をどのようにお客さまの価値につなげていくかを考えられる人であれば、大きなやりがいを感じられると思いますね」
日立が蓄積してきた技術やノウハウと、新たな試みを融合させ、プロジェクトを成功に導いた大島。新旧が生み出すシナジーの可能性を信じて、これからも挑戦を続けます。